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小説『ぼぎわんが、来る』、映画『来る』感想

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こんにちは。
小説を読んだあとに、映画化された映画を観て感想を書くサトーです。
なんだかなあ・・・という感じです。
さいきん読んだ本と、見た映画の感想です。
※ちょっとネタバレしています。
小説『ぼぎわんが、来る』あらすじ
幸せな新婚生活を送っていた田原秀樹の会社に、とある来訪者があった。
来訪者に対応した秀樹の後輩は入院し、憔悴していく。
やがて秀樹の周囲には、不審な電話やメールが届くようになる。
それは、秀樹がかつて遭遇した「ぼぎわん」という化け物であった。
映画『来る』あらすじ
子煩悩で愛妻家の田原秀樹まわりで、怪奇現象が出はじめる。
秀樹はオカルトライターの野崎に怪奇現象の解明と除霊を依頼する。
しかし、秀樹に憑いているアレは想像を超える凶悪なものだった。
★小説と映画の違うところ
小説では、アレ=ぼぎわんの正体と出現理由がハッキリ書かれています。
それに対して映画では、アレの正体も出現理由も曖昧なまま終わっています。
小説ではクライマックスの琴子と化け物の戦いが細部までしっかり描かれているのに対し、
映画では琴子vsアレの戦いはアッサリ終了しています。
映画を見てモヤモヤしている人は、小説も読んでみるといいでしょう。スッキリしますよ。

なぜこれを見ようと思ったか

ここからは映画へのdisな感想が入っていますので、映画『来る』ファンの人は見ないでください。
ちょっとネタバレもしています。
なぜこの本を読んで、この映画を見ようと思ったかというと、中谷美紀が『嫌われ松子の一生』の撮影時に、監督に恫喝され罵倒されていたと知ったからですね。
監督は中島哲也という人で、『下妻物語』『告白』『渇き。』を撮った人らしいです。
私は中谷美紀を恫喝するやつは許さない所存です。
私は日本映画はあまり見ないんですよね。だから『渇き。』や『告白』の加害事件とかも知りませんでした。相当、酷かったみたいですね。
X(旧Twitter)で、そんな監督が撮った『来る』は原作と違って女下げが酷かったというポストを見たので、人格も作品もそんなに酷いのか、と思ってまずは『ぼぎわんが、来る』を読んで、次に映画化された『来る』を見てみました。
結論から言うと、『ぼぎわんが、来る』は面白かったですよ。

なんじゃこりゃ

でも映画化されたほうは好きじゃないです。
というより、原作を読んだあとに見ると、何やってんだコレ、というかんじです。
よくあの筋道通った面白かった原作を、これだけわけわからんものにしたなあと。
原作自体が複雑な構成だと思うんですよね。
特に時間軸が複数あって、秀樹の幼少期に飛んだり、現在に戻ったり、田原夫婦の結婚前に戻ったりします。
現在と遠い過去、近い過去を行ったり来たりするんですね。
場所は、秀樹の祖父母の田舎と、都会の秀樹たちの部屋と、真琴の部屋がメインです。
構成は三章で、第一章が秀樹の視点、第二章が秀樹の妻・香奈の視点、第三章が野崎の視点で書かれています。
一方、映画のほうは時間軸は小説と似ていますが、それに加えて秀樹が幼少期の頃に会った少女が出てきます。
これがやがてアレの姿になるんですけどね。
ただ映画では、場所は主に都会に限られていましたね。
田舎のシーンはあまり出てこなかったです。
小説では解決のヒントはそこにあったのに。
あと映画では、香奈が自堕落で邪悪めいた存在になってましたね。
濡れ場は必要でしたかね?
『渇き。』の件を知った後なのでね、なんでもかんでも濡れ場を出さないと気がすまないのは病的な性癖なのか、加害性なのか、どっちかなと考えちゃいました。
小説のほうは最後は琴子と野崎で、ぼぎわんと戦うんですよね。
でも映画のほうは各方面から有力な霊能者を集めてたじゃないですか。
警察まで導入して道路を封鎖して、大掛かりな舞台も設置して、まるでお祭りみたいな大騒ぎですよね。
そういうところが権威主義的なニオイがして引きましたね。
言いたいことがあと10個くらいあるんですけど、長くなるのでこのへんにしておきます。

柴田理恵

映画に対してポジティブな感想もありますよ。
印象に残っているのは柴田理恵さんです。
私は黒髪で元気に笑う柴田さんしか知らなかったのでね、白髪まじりの髪でいわゆる「枯れた」ような演技をするのを見て、衝撃を受けました。
なんというか、老いた自分の魅せ方、活かし方を熟知しているんだなあと。表現者として素晴らしい方なんだなあと、しみじみしました。

3つ

最後に映画に対する3つの不満を書いて終わります。
1.原作ではアレの姿がハッキリと描写されているのに、映画ではごまかされていたこと。
今の時代なら、CGなりアニメーションなり、なんならストップモーションでもバケモノを作ることはできたでしょうに。なぜ、ぼぎわん本体を登場させることができなかったんですかね?技術の問題ですか?
2.クライマックスで、琴子とアレのバトルが描かれなかったこと。
いやいや、そこが肝心じゃないのか、この長尺で引っ張ってきて、そこのバトルを見せないと観客は納得しないんじゃないかと思ったんですよね。
少なくとも私は納得しなかったですね。
なんで最後は血が外に飛び出して終わりなんだよ、イージーすぎるだろ。
琴子が素手で勝利した理由を教えてくれないのかよ。
で、アレの血が野崎に降りかかったのに、野崎がアレに憑りつかれなかったのはなぜ?その時点でアレの妖力は無力化していたから?
3.原作にはこう書いてありました。
非科学的、超常的な分野においても、論理や理屈というものは必ず存在する。何でもアリではないのだ。
でも映画になったら、論理や理屈がすっ飛ばされて、何でもアリになっていたように見えたんですよね。なんでこうなった?

まとめ

というわけで、小説はおもしろかったけど、映画はなんじゃこりゃってかんじでした。
小説『ぼぎわんが、来る』は続編があるので、次は『ずうのめ人形』を読んでみようと思います。
あと、中谷美紀を恫喝するやつは許さないです。
それでは、お読みいただきありがとうございました♪
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