こんにちは。
私が洗濯する日には必ず雨が降って、その翌日は必ず晴れるという運をもつサトーです。
天気予報はチェックしてるんですけどね。当たらないんですよね。
ちなみに我が家のドラム式の乾燥機能は壊れてるんで、乾燥機は使えないのです。コインランドリーは誰が何を乾かしたか分からないということを知ってからは、怖くて行けません。
どうやったら雨が降らない日に洗濯物を干せるのか知りたいですね。
さいきん読んだ本の感想です。
この本は
ハンナ・アーレントの著書『全体主義の起源』『エルサレムのアイヒマン』などをヒントにして、全体主義とは何か、全体主義の何が問題か、などを考察している本です。
感想
全体主義という言葉は、イタリアのファシズム政権やドイツのナチス寄りの人たちが、
具体的な生活を営んでいる人間の、ごく一部ではなく、「全体」を把握するとか、社会生活の「全体」を包括する、といったポジティブな意味合いで、「全体主義」という言葉を使っていたわけです。
で、
それに対して、アメリカをはじめとする西側諸国は、自分たちとは異なる体制ーー近代的自由主義の成果を否定し、諸個人を大きな団体としての国家に完全に組み込み、自分のためではなく、国家という共同体のために生きるよう教育することを当然視する体制ーーの異様さを表現する言葉として、「全体主義」を使うようになりました。
とのことです。
なるほど、そういう定義があったんですね。
今ではナチスの影響もあって、全体主義というと後者のほうを指すのかもしれませんね。私は後者の意味のほうで受け止めることが多かったです。
ヴェニスの商人
面白いなと思ったのは、キリスト教において利子を取って同胞に金を貸すのはタブーだったので、そこでユダヤ人が出てきてこの汚れ仕事を引き受けた、ということです。
これがまさに『ヴェニスの商人』のシャイロックであると。
金貸しは上手くやればけっこう儲かると思うんですが、この汚れ仕事を自ら引き受けたおかげで富を築いた人たちがいると思うと、なんだか感慨深いですね。
汚れ仕事をやっているのに儲けていて、キリスト教徒の自分たちも金貸しを必要とする時があるので、ユダヤ人は嫌われていた・・・ということのようです。
思考停止
社会の支配的なももの見方と自分のそれが完全に一致している(と思い込んでしまう)時、ヒトは本当の意味で「考える」ことができなくなります。
これを読んだとき頭に浮かんだのは、X(旧Twitter)でひたすら与党や権力者の肩をもつ人々でしたね。
やっぱり無条件で権力者を擁護したり、全面支持したりして批判しない人たちは、思考停止してるのかもしれませんね。
どれだけ説明しても他者の状況を理解しないとか、話が一切かみあわないとか、たまに見かけますよね。
まとめ
ハンナ・アーレントは実際にエルサレムに出向いて、アイヒマンの裁判を見たそうです。アイヒマンについてハーレントは、「彼は愚かではなかった。全くの無思想性」と言ったそうです。
著者は「アーレントのメッセージはいかなる状況においても「複数性」に耐え、「分かりやすさ」の罠にはまってはならない」と書いています。
読んでいると、どうしてもガザでのイスラエル軍のことを考えてしまうんですよね。
あれも無思想性で複数性に耐えられず、分かりやすさの罠にはまってしまった結果なのでしょうか?
それとも、ただの愚か者たちなんでしょうか。
それでは、お読みいただきありがとうございました。

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